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Vidiot in Contemplationというタイトルについて

コーディネーターの吉田有希です。

Vidiot in ContemplationというDVDが2007年7月にビデオアートセンター東京からリリースされましたが、そのタイトルについて経緯をちょっとお話したいと思います。

Contemplateという単語の意味について

もともと私はアメリカの大学でメディアアーツを専攻していて、英語で美術史についても勉強しました。英語でアート関係の本を読むとよく、「Contemplate」=「アート作品などの鑑賞をする」という意味

でこの単語が登場することが多々ありました。それは、もともとアートというものが今よりも宗教と深いつながりがあった時代に芸術作品を鑑賞することが宗教上の瞑想行為に近いものがあったということになります。美術館の建築物が教会のような環境としての役割を果たし、その中で美術作品は「Contemplate(瞑想)」する対象であるといった考え方があるようです。視覚的に作品を鑑賞し、自分の頭で何かを悟ったり考えたりするという行為がアート鑑賞者(contemplator)にはあったようです。

アメリカの近現代芸術やメディアアートでも、商業的なアートや、ポップカルチャー、エンターテイメントの影響が強いアート作品も多くありましたが、観客は熟考しながらアート作品を鑑賞していました。作品を見れば、「自分はこの作品についてこう考える」という意見が飛び交っていましたし、視覚と思考が繋がっていたんだと思います。

日本のアートシーンにおける Contemplation=アート鑑賞

日本に帰国してから気づいたことは、日本と欧米でアート鑑賞の概念に違いがあったということです。日本で「アート作品の鑑賞」と言った時に、ビジュアル的な要素がとても強く、自分の内面に返ってくるような「Contemplation(瞑想行為)」とは遠いものがあるのでは、という印象を受けました。日本にも、もちろん瞑想行為はあると思いますが、それと芸術作品(特に近年のメディアアート作品)との結びつきが強いものは、実は少ないのではないかという印象を受けました。

当時の日本では「メディアアート」と言うと刺激を求める観客が作品からメッセージを与えてもらいに来たり、分かりやすい作品でないと理解不可能だとそこで思考を止めてしまったり、欧米にあったような「Contemplation」という概念を取り入れた作品鑑賞はあまり見ませんでした。ビデオアートにおいても同じことが言え、映像を見ても熟考せずにただ流し見る人たちが多く、「Watch」する人はいても「Contemplate」する人はあまり見ませんでした。それも手伝ってなのか、作品もエンターテイメント的なメディアアート作品、テレビの観賞と同じように「鑑賞」する映像作品、視覚的な刺激を与える作品が多いのではないかと思いました。

メディアアートにおけるContemplation=瞑想するアート鑑賞

日本のアートシーンにおいて足りないものは何だろうと考えたときに、この「Contemplation」という言葉が浮かんできました。今後のビデオアート含むメディアアートの展望を考えたとき、私が期待したいものの一つとして芸術的な瞑想行為や熟考する鑑賞行為があります。日本の伝統芸術では瞑想と鑑賞が結びついたものも多いと思いますから、ビデオなどのニューメディアにメディアが台等されても、「Contemplation(瞑想)」という感覚は忘れないようにしたいという思いがありました。

ビデオアート作品におけるContemplation

こういった経緯からビデオアートセンター東京の2007年のコンピレーションDVDのタイトルに「Contemplation」=「瞑想するアート鑑賞」という単語を入れようと思いました。このタイトルは作品をまとめる一つの思想があるというよりは、鑑賞する方々へのメッセージ的要素の方が強いと思います。

最後に

最後に、じゃあ何故「Vidiot」なのか?についてですが、それは皆さんのご想像にお任せしますので、是非ここでContemplate=熟考してくださいませw

 

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