中嶋興×クリストフ・シャルル:対談ヴィデオ万物流転I
[video reflexive vol.3] 中嶋興 ヴィデオ万物流転 vol.1
Ko NAKAJIMA Video Vicissitudes Vol.1 メディアの精製と流転Generation and Vicissitude of Media
2014年10月10日(金) 19:00- アップリンク・ファクトリー
電子映像メディアへの道教的アプローチ(!?)を試みる中嶋興の特集を2週にわたって行いました。1960年代より映画、アニメ、ドキュメンタリーなど様々なジャンルを手掛けてきた中嶋興は、記憶、生と死、万物流転のイメージを、サイケデリックにしかし現代社会への批判に満ちた思想的なヴィデオ的風景を突きつけます。第一夜は80年代より中嶋と出会い、日本のヴィデオアートの研究も行う音楽家・研究者のクリストフ・シャルル氏が、中島作品の上映作から沖縄で撮影された「水平線」を中心に話が展開してゆきます。
トークセッション 中嶋興×クリストフ・シャルル 進行:瀧健太郎
シャルル(以下C):1987年にパリで中嶋さんとお会いしたと思います。その時に河口洋一郎さんも一緒に来仏してらした。
中嶋(以下N):アメリカ人でヴィデオアートのイベントをよくやっていたドン・フォレスタ主催でパリのアメリカン・センターで上映した時で、河口洋一郎はCG映像で、ちょっと人間臭い僕の作品の2人の作品を両方やったんですよ。当時シャルルは学生で、隅の方に座っていて、終わる頃に僕のところにやってきて話したのを覚えてる。
C:《マイ・ライフ》(1976)の白黒の映像で、非常に印象的でした。マルセイユでヴィデオをやっていた韓国人のヴィデオアーティスト、キム・スンギさんから興さんの名前を以前から聞いていました。
T:そうなんですね。
中嶋興《My Life1976-2014》(2014)
Ko NAKAJIMA Video Vicissitudes Vol.1 メディアの精製と流転Generation and Vicissitude of Media
2014年10月10日(金) 19:00- アップリンク・ファクトリー
電子映像メディアへの道教的アプローチ(!?)を試みる中嶋興の特集を2週にわたって行いました。1960年代より映画、アニメ、ドキュメンタリーなど様々なジャンルを手掛けてきた中嶋興は、記憶、生と死、万物流転のイメージを、サイケデリックにしかし現代社会への批判に満ちた思想的なヴィデオ的風景を突きつけます。第一夜は80年代より中嶋と出会い、日本のヴィデオアートの研究も行う音楽家・研究者のクリストフ・シャルル氏が、中島作品の上映作から沖縄で撮影された「水平線」を中心に話が展開してゆきます。
トークセッション 中嶋興×クリストフ・シャルル 進行:瀧健太郎
シャルル(以下C):1987年にパリで中嶋さんとお会いしたと思います。その時に河口洋一郎さんも一緒に来仏してらした。
中嶋(以下N):アメリカ人でヴィデオアートのイベントをよくやっていたドン・フォレスタ主催でパリのアメリカン・センターで上映した時で、河口洋一郎はCG映像で、ちょっと人間臭い僕の作品の2人の作品を両方やったんですよ。当時シャルルは学生で、隅の方に座っていて、終わる頃に僕のところにやってきて話したのを覚えてる。
C:《マイ・ライフ》(1976)の白黒の映像で、非常に印象的でした。マルセイユでヴィデオをやっていた韓国人のヴィデオアーティスト、キム・スンギさんから興さんの名前を以前から聞いていました。
T:そうなんですね。
中嶋興《My Life1976-2014》(2014)
C:今日の作品から2,3質問させてもらいたいのですが、沖縄によく行かれるって言う…
N:そう、ワークショップやったり、最近は名護市の町起こしなどもう10回以上になります。まだ復帰する前の1967-8年頃に1回、復帰後にも何度か。
T:パスポートいる時代ですね。
N:ええ、パスポートいりますね、沖縄もその頃アメリカですから。沖縄全島をずっと周って写真を撮ったんですよ。ロケハンみたいにして、1971年から復帰した時に出かけて写真を撮って、『太陽』という本に売り込んだんですね。そうしたら、編集長が面白そうだといって、撮ったのが《洗骨の島》っていって、ちょうど偶然海岸を歩いていたら死んだ人を見つけて食べる魚を見つけて、それで11-2年経ったら引き上げて、海岸で洗ったんですよ。それに偶然ぶつかって、おもしろいと思って撮った作品が《洗骨の島》っていう、「別冊太陽」の創刊第2号の方に5,6ページのってますけどね。それが写真家としてはデビューした作品ですね。
中嶋興《水平線 The Horizon》 (1971)
C:そういう関心というか、洗骨島の死に対する儀式とか色々あるんですけど…次回上映する《ランギトート》とか…
N:そう、でますね。
C:後は、ブルターニュで撮った《塩の幻想 Esprits de Sel 》(1993)。
N:僕はそういった骨とか死とかに不思議と結構出会うんですよ。で、それがテーマになってくるというか。自分の子供が生まれた時に祖母が亡くなったり、お袋や親父が死んだりと、生と死を映像作家だから感覚的に撮っとかなきゃと思うんです。それで、そんなにいいアングルじゃないけども作品で撮っていたらそれが偶然生と死のテーマになってくるっていう。だから、僕自身じゃなくて誰かが指示してる様な所もあるし、「撮れ」って言ってる様な気もするし。
[プログラム]
精造器 Seizoki(1964, 4min) /生物学的循環 Biological Cycle part1&part5 (1971/1982, 抜粋 8min)/新幹線研究食 Shinkansen Researching Foods (1975, 10min) /水平線 The Horizon (1971, 7min30sec)/マイ・ライフ My Life 1976-2014(HDリマスター+更新版32min)
関連記事:哲学と思想に従いグローバルに創作せよ!ヴィデオ・アートの先駆者・中嶋興語る
ウェブリンク:中嶋 興 : ヴィデオ万物流転
中嶋興×上崎千 対談:ヴィデオ万物流転II
今回の上映イベントに際して、ビデオアートセンター東京は《マイライフ》の2014年までの新たなフッテージを含んだ、ハイヴィジョン・リマスター版を用意しました。76年から38年分の生と死を盛り込んだ《My Life 1976-2014》として刷新されました。(写真は編集アシスタントを務めた鈴木紀之氏に指示する中嶋氏の様子)
TOP:ヴィデオ・スパークス/ヴィデオ・リフレクシヴ2014-2015
N:そう、ワークショップやったり、最近は名護市の町起こしなどもう10回以上になります。まだ復帰する前の1967-8年頃に1回、復帰後にも何度か。
T:パスポートいる時代ですね。
N:ええ、パスポートいりますね、沖縄もその頃アメリカですから。沖縄全島をずっと周って写真を撮ったんですよ。ロケハンみたいにして、1971年から復帰した時に出かけて写真を撮って、『太陽』という本に売り込んだんですね。そうしたら、編集長が面白そうだといって、撮ったのが《洗骨の島》っていって、ちょうど偶然海岸を歩いていたら死んだ人を見つけて食べる魚を見つけて、それで11-2年経ったら引き上げて、海岸で洗ったんですよ。それに偶然ぶつかって、おもしろいと思って撮った作品が《洗骨の島》っていう、「別冊太陽」の創刊第2号の方に5,6ページのってますけどね。それが写真家としてはデビューした作品ですね。
中嶋興《水平線 The Horizon》 (1971)
C:そういう関心というか、洗骨島の死に対する儀式とか色々あるんですけど…次回上映する《ランギトート》とか…
N:そう、でますね。
C:後は、ブルターニュで撮った《塩の幻想 Esprits de Sel 》(1993)。
N:僕はそういった骨とか死とかに不思議と結構出会うんですよ。で、それがテーマになってくるというか。自分の子供が生まれた時に祖母が亡くなったり、お袋や親父が死んだりと、生と死を映像作家だから感覚的に撮っとかなきゃと思うんです。それで、そんなにいいアングルじゃないけども作品で撮っていたらそれが偶然生と死のテーマになってくるっていう。だから、僕自身じゃなくて誰かが指示してる様な所もあるし、「撮れ」って言ってる様な気もするし。
[プログラム]
精造器 Seizoki(1964, 4min) /生物学的循環 Biological Cycle part1&part5 (1971/1982, 抜粋 8min)/新幹線研究食 Shinkansen Researching Foods (1975, 10min) /水平線 The Horizon (1971, 7min30sec)/マイ・ライフ My Life 1976-2014(HDリマスター+更新版32min)
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ウェブリンク:中嶋 興 : ヴィデオ万物流転
中嶋興×上崎千 対談:ヴィデオ万物流転II
今回の上映イベントに際して、ビデオアートセンター東京は《マイライフ》の2014年までの新たなフッテージを含んだ、ハイヴィジョン・リマスター版を用意しました。76年から38年分の生と死を盛り込んだ《My Life 1976-2014》として刷新されました。(写真は編集アシスタントを務めた鈴木紀之氏に指示する中嶋氏の様子)