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Move on Asia/Crash&Networkシンポジウムから

レポート 
Move on Asia/Crash&Networkシンポジウムから
瀧健太郎
[アジアのビデオアーカイヴは可能か?]

taki200604-univ.jpgシンポジウムの会場となった延世大学

2006年3月17日からソウルのオルタナティヴ・アートスペース LOOP にて、アジアのビデオアートに焦点を当てた展覧会「 Move on Asia 2006 」が開催された。これは2004年にLOOPの呼びかけに応じて、アジアのアートグループやスペースがビデオ作品を持ち寄った巡回展「Move on Asia」に端を発しており、二回目となる今回は展覧会に併せて 「Crash and Network」 というテーマでのパネルディスカッションとシンポジウムがソウルの延世大学にて催された。延世大学の教授がホストとなり、パネリストに LEEDS 大学教授ヴァナリン・グリーン、南イリノイ大学教授ジョツナ・カプール、オーストラリア映像センター(ACMI/南メルボルン)からマイク・スタッブス、アジア・アート・アーカイヴ(AAA)の韓国担当の調査員アイリス・ムーン、オルタナティヴなネットワーク作りをしているアートグループの代表として、インドネシアの「ルアンルパ」のアデ・ダルマワン、そして VCT/ ビデオアートセンター東京からは筆者が招聘された。

「ビデオのピクセル 」 by服部かつゆき

「ビデオのピクセル 」
服部かつゆき
 
 ビデオ画像は、例えどのような図像でも、明滅するピクセルの集合によって像を生じさせる。それは明滅する各ピクセルの濃淡と色調の差が生じることで、像として認識される。このピクセルの1粒は、赤、緑、青の3色で構成されていて、各色256階調、計1677万7216階調の表現の幅を持つ。(*1)

hattori200510b.jpg 私は今このピクセルがもつラチチュードを、ビデオ表現における根本原理としてとらえている。写真や映画のフィルムがもつラチチュードとビデオのそれとを比べると、いくらか狭い階調幅ではあるが、写真にはない経時性や、映画では達成できない即時性などの特性がビデオにはあり、それらを活用することで、先覚メディアと同様、芸術的に優れた作品をつくることができる。


松本俊夫 時代の碑から構造の問題へ<その2>

映像作家 松本俊夫 時代の碑から構造の問題へ
その2
matsumoto050830-e.jpg「コネクション」(1981)  

未公開作品「Hands」 (1977) 、「Double」 (1977) をバックグラウンドで上映したのち、後半には「コネクション」 (1981) 、「リレーション 関係」 (1982 年 ) 、「シフト 断層」 (1982) が上映されました。 後半は会場の観客からの質疑が行われました。

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音と映像のコラボレーションについて

質問:一柳慧さんや稲垣洋祐さんなどが音を担当されていますが、作品に音をつける際にどういう意識を持っていらっしゃいますか?またはコラボレートする音楽家に一任されるのでしょうか?

松本:もちろんいろいろ話をします。作品がどういう世界を狙っているか、その意図とそれを作品として構築してゆく上でのポイントがありますが、そのあたりを際立たせるために全体というのが組み合わされているわけです。といってもやはりそれを一つにするに当たって対立させたり、融合させたりというのか、そういう関係なので、音と映像、聴覚と視覚の関係というのは、作品によっては、かなりぶつかり合うようにしようとか、あるいは溶け合うようにしようとか、あるいは構造的にここまではこう、といったことが大きく打ち合わせられます。

 撮影の場合もそうですが、映像のコラボレーションというのは、作品を積み重ねる中でお互いがだんだん分かってくるというか、自分の作品以外のことでも、いろいろな考え方や趣味の交流があるし、そんなことを含めつーかーになってゆくのですね。それと信用しあうところと、だからこそ分かり合う範囲内のことだけをやるわけにもいかない、相手にハッとさせるような何かをぶちかましてやろう、ということも出てくるわけです。言ってみれば刺激的なインタラクションが起きるわけで、その楽しみで創っているわけです。



松本俊夫 時代の碑から構造の問題へ

映像作家 松本俊夫 時代の碑から構造の問題へ
聞き手 瀬島久美子
企画・構成 戸田久美子・瀧健太郎
  matsumoto050830-a.jpg

2005年3月にファイドロス・カフェにてビデオアート・ショーイングのイベントとして日本の実験映像の草分けである松本俊夫氏の特集を行いました。今回は68年から80年代にいたるまでの松本氏の作品の上映と、キュレーターの瀬島久美子さんとの対談と行い、その様子の一部を掲載致します。前半はフィルム作品「つぶれかかった右眼のために」(1968)、「色即是空」(1975)、「アートマン」(1975)、「エニグマ」(1978)が上映され、後半は80年代以降のビデオアート作品が紹介されました。以下は前半終了後の対談です。

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時代の記念碑としての作品を!

瀬島:初期作品である 1968 年作の「つぶれかかった右眼のために」、この作品は様々な意味でこの時代を反映していると思われます。この作品についてお話いただけますでしょうか。

松本:そうですね、このときはやはり時代が変化しているわけです。今流に言えば、パラダイム・チェンジが急降しており、矛盾がいっぱいいろんな形で現れてきて。「この 68年という時代はきっと将来一つの大きな変わり目の記念碑的な年になるに違いない」と思って、とにかく時代を何かの形で表現しておこうと、記録しておこうと思いました。
 ところが映画・映像っていうのは縦軸に、線的に表現するメディアじゃないですか。やっぱりそれでは、どうも表現しきれないという感じがしました。いろんな物が混沌として渦を巻き、お互いに関連しあったり、あるいは無関係に対立しあったりというような、輻輳的、流動的そして多元的イメージといったある状態の中に翻弄されているような体験、その体感みたいなもの、そういうものを表現したかったのです。

「ソーシャル・マトリクス/ペーター・ヴァイベル回顧展を見て」瀧健太郎

「警察署」の看板の下に立つ男の写真。彼が手にしている紙に「は、嘘をつく」。

 写真の中でメッセージを持つ自身を撮影するというシンプルな手法で、権力を諧謔する作者のペーター・ヴァイベルは、60年代の半ばから言葉を使ったパフォーマンス、拡張映画、ハプニング、コンセプトアートや状況表現、閉回路のビデオ・インスタレーション、そしてコンピューターを使った作品を徹底した批判的な立場から表現し続けている。

「ソーシャル・マトリクス/ペーター・ヴァイベル回顧展を見て」瀧健太郎<その2>

 ところで、彼はロックバンドを組織し、政治的なメッセージを音楽で行っている。「Hotel Morphila Orchester」と名づけられたそのバンドでは、ヴァイベルはヴォーカルを担当し、歌とマイクを頭で叩くパフォーマンスなどを行っている。また80年代にはコンピューターを使用した、デジタル・ビデオからメディアアート領域と呼ぶべき一連の実験を行っている。 最後のセクション「若き俳優としての作家ポートレート」では、若きヴァイベルが劇映画で俳優を演じている。

「インディペンデントなアーティストのネットワーク」瀧健太郎

[アーティスト間のネットワーク作りから]

 アクティヴなビデオ作家を紹介する「テレピデミク!」展の海外巡回展を2003年から2004年にかけて行った。 もともとこのビデオアート展はVCTokyoが2002年に催した「香港ビデオアート特集」と「日欧新世代ビデオアート交流展」にてEU、アジアの各国にビデオ作品の出品の打診をしたことにはじまっている。

「インディペンデントなアーティストのネットワーク」瀧健太郎[その2]

[ネットワークを通じて]

 各グループとのコラボレーションはEメールなどのやりとりを中心に、往々にして円滑にゆき、話し合いの結果それぞれの都市で少しずつ内容の違うイベントを行うことができた。ジャカルタでは、ビデオアート自体がまだそれほど浸透していない表現方法であることもあり、個々の作品の技術的なことへの関心を感じ、また彼らは都市のイメージに非常に興味があるようだった。

「インディペンデントなアーティストのネットワーク」瀧健太郎[その3]

 [アーティスト達に逢う -3-]

 ベルリンのB-BOOKSでは、ニコラス・ジーペンとタラ・ヘルプストに再会し、彼らの制作活動について詳しく聞くことができた。上映プログラムでも紹介した「MOI Je Suis MOIS de MAI!(私は五月の月に属す)」は、彼らのコラボレーターであるアーティスト、映像作家、ミュージシャン、批評家など約40人を一日ベルリンに呼んで、 60年代や70年代の政治の問題などをテーマにアクションを起こすというプロジェクトである。

「インディペンデントなアーティストのネットワーク」瀧健太郎[その4]

[アーティスト達に逢う -4-]

 マルク・プラスがパリのギャラリー3015で行った個展「LAZY LINE」では、ビデオやスライド、コンピュータ、インターネットを複雑に多用したインスタレーションを展示していた。マルクはそれらの機材を通して出来上がってくる映像そのものより、プロセスが一つの重要な点であると語った。