Video Sparks/Reflexive(2014-2015): 2016年2月アーカイブ

ヴィデオ・スパークス/ヴィデオ・リフレクシヴ2014-2015
Video Sparks/Reflexive 2014-2015



ヴィデオ・スパークス/ヴィデオ・リフレクシヴ Video Sparks/Reflexive 2014-2015 プロジェクト概要

testimage-asagaya.jpgのサムネール画像Art Promenade in ASAGAYA/ “Wall to Wall”
ヴィデオアート・プロムナードin 阿佐ヶ谷 Wall to Wall

日程:2015年2月20日(金)21(土)22(日)+27日(金)・28日(土)・3月1日(日)]
場所:阿佐ヶ谷商店街近辺数箇所+TAVギャラリー

映像記録+写真記録


hakudoaquawork2015.JPG
Asia_VacuumedCityscape.JPGアジア-真空の都市像

日時:2014年11月15日(土)1
場所:喫茶茶会記( 四谷三丁目)

A4taki_nishiyama_omote.jpgヴィデオ:コラージュ/モンタージュ 瀧健太郎+西山修平
vol.1 瀧健太郎 Kentaro TAKI ヴィデオ・コラージュ/パズル
2014年11月7日[金]
vol.2 西山修平 Shuhei NISHIYAMA ヴィデオ・モンタージュ/シュレッダー
2014年11月14日[金]

瀧健太郎×平本正宏 対談:ヴィデオ・コラージュから空間表現へ
西山修平×沢山遼 対談:ヴィデオのメディウム・スペシフィティ

konakajiama2014uplink_flyer1.JPG中嶋 興 ヴィデオ万物流転Video reflexive series
Ko NAKAJIMA Video Vicissitudes

Vol.1 メディアの精製と流転Generation and Vicissitude of Media
2014年10月10日(金)
Vol.2 ヴィデオの陰陽五行 5th Elements of Video Art
2014年10月17日(金)
場所:渋谷アップリンク 1Fファクトリー

中嶋興×上崎千 対談:ヴィデオ万物流転II
中嶋興×クリストフ・シャルル:対談 ヴィデオ万物流転I


madelon-flyer.jpgインスピレーションと変容 マデロン・ホーイカース オランダ・ヴィデオアートの先駆 70年代から現在まで

2014年6月1日(日)  場所:喫茶茶会記( 四谷三丁目)

マデロン・ホーイカース トーク:ヴィデオアートの黎明期から現代へ

ヴィデオアート・プロムナードin 阿佐ヶ谷 Wall to Wall

2月に開催されたヴィデオアート・プロムナードin 阿佐ヶ谷 Wall to Wallの動画と写真の記録をご覧いただけます。
videoartpromenadeinAsagaya2015 (9).jpgのサムネール画像 videoartpromenadeinAsagaya2015 (4).jpg videoartpromenadeinAsagaya2015 (5).jpg


videoartpromenadeinAsagaya2015 (6).jpg videoartpromenadeinAsagaya2015 (7).jpg videoartpromenadeinAsagaya2015 (8).jpg

小林はくどう 宮内康乃 対談:
ヴィデオのコミュニケーションとライヴ性

20150124hakudo-performancebyinami3.jpg [Video Sparks vol.5] 小林はくどう:ヴィデオ・パフォーマンス”AQUA WORKS 2015”(ライブサウンド:つむぎね ) Hakudo KOBAYASHI's video performance”AQUA WORKS 2015” (with live sound by Tsumugine)

2015年1月24日(土)start:19:00 - 喫茶茶会記( 四谷三丁目)

1970年代からヴィデオアート作品を制作し国際的に活躍するアーティスト、小林はくどうの70年代から現在まで制作してきたヴィデオアート作品を一挙に上映しました。 また今回が初演となるヴィデオ・パフォーマンス“Aqua Works 2015”と音楽パフォーマンス・グループ「つむぎね」の即興のコラボレーションを行いました。

トークセッション 小林はくどう×宮内康乃(つむぎね) 進行:瀧健太郎 モデレーター:中井澪

瀧(以下T):今回の上映作ではコミュニケーションや、撮ったものをすぐ再生して次の人がどう反応するか、その連鎖反応のような印象を受けました。

はくどう(以下H):1972年だったかな。友達のお父さんの法事のしんみりしてる中に、よそ者の僕が入り込んだの。お坊さんが帰った後に「これは何だ」となり、「これはヴィデオだよ」っていくら説明しても全然ダメ。そこの家のリビングのテレビに繋いだわけ。そしたら周りが映るじゃない。その場にいた人たちがどうしたかって、電話に殺到したの。「TVつけろ!オレが映ってるぞ!」って言うの。当然他の家では映んないじゃない。「うちのTVは壊れてる」とか言い出して、録画・再生の繰り返しを永遠とやる羽目になって、ずっとそのパニックは止まらなかった。

そしたら2,3時間ぐらいずっと黙ってみていたおじさんさん居て、親戚からも「あの人、ああいう人だから」って言われていたその人が突然「俺にもやらせろ!」って言ってカメラの前に仁王立ちしてさ、歌をうたいだしたの。そしたら奥さんが「結婚して何十年経つけど、夫の歌を聞いたのははじめて」と。酒も飲めない人で。それから1週間くらいしてその家から手紙が届いたの。そのおじさん変わっちゃったって言うんだよね。

T:ヴィデオカメラに写ったことで?

H:職場でも自分から話したり、情報を出す経験が無かったんだね。いきなりカメラの前でやって、すぐ見るじゃないですか。興奮状態が増幅していく訳だよね。それがヴィデオを使ってコミュニケーションをとるって一体何だろうなと、興味を持ち出した最初のきっかけ。

Lapsecommunication-1981ver-web.jpg小林はくどう《ラプス・コミュニケーション1981ver.》
***
20150124hakudo-performancebyinami2.jpg小林はくどう+つむぎねによるライヴ・パフォーマンス

西山修平×沢山遼 対談:
ヴィデオのメディウム・スペシフィティ

20141117videomontage-nishiyama (2).jpg [video reflexive vol.4] ヴィデオ:コラージュ/モンタージュ Video : Collage / Montage vol.2 西山修平 Shuhei NISHIYAMA ヴィデオ・モンタージュ/シュレッダー

2014年11月14日[金] 19:30- アップリンク・ファクトリー

Vol.2では西山修平の作品を特集し、そのモンタージュとして読み、更にデジタル時代のモンタージュ理論の可能性を西山作品を通して考える機会となりました。美術批評家の沢山遼氏をゲストに西山修平作品の構造的な部分と、編集作業のない作品にも同様に見られる一貫性について語っていただきました。


トークセッション 西山修平×沢山遼 進行:瀧健太郎

沢山(以下S)::前回の上映で、瀧さんは主にコラージュによって映像をつくるということをされていました。で、今回、西山さんの映像も、複数の映像を組み合わせるコラージュやモンタージュの形をとられていますね。例えば、映画とヴィデオの違いで一番大きいのは、映画のモンタージュは基本的にあるショットの後に別のショットがくるという、その組み合わせでなにか新たな意味が発生することが、モンタージュの基本的な言語だと思うんですね。例えば、ある人物が映っていて、でその人物がどこかに視線をやると。

西山(以下N):
うん。

S:次のショットでこのコップが映ると、あたかもその人物がこのコップを見たかのように、鑑賞者の中で内面化される。全くバラバラのもの同士を鑑賞者の内部で結合して、新たな意味が発生するというのがエイゼンシュテインなどが言ったモンタージュの理論。だけどヴィデオによって何が可能になったかというと、同一平面上で、つまり鑑賞者によって内面化される前に、即物的にそれが行われるという点ですね。だから瀧さんや西山さんのコラージュ、モンタージュの方法論は実は非常に近い。同一平面上で分割・結合が即物的になされていることが、大きな条件になっていると思います。それがヴィデオの特徴というか、映画とヴィデオが正に分かたれる部分ですね。

N:そうですね。それによって映画は一つのストーリーみたいなものしか基本的にはモンタージュとして出てこないかも知れないですけど、ビデオはそこで複数意味が重なっていったり、複数衝突が起きたりすると思うんですよね。

S:映像というのは、基本的にフィルムの場合は、モンタージュという技法に顕著ですが、 前に進まないといけない。このショットの後にこのショットが来て、で次にそのショットが来るというように連続してゆく。ですが、西山さんの映像の場合は無関係な映像が非連続的に接続されているから、前に進んでいるという感覚を与えないですよね。そのことと、西山さんの映像でよく見られる逆回しは対応していると思う。フィルムだと次々に ショットとショットの繋がりが乗り超えられていかなきゃいないっていうのがあると思うんだけど、その部分が即物的な衝撃として投げ出されている。それが、西山さんの映像の特質であるところの、時間的な構造として現れている感じがしますね。前へ進んでいかないという。 たとえば《ビトウィーン・イメージ》という作品では、ずっと同じシーンが繰り返されている。しかも、何でこれを選んだんだろう、みたいな映像が。

N:

S:貧しいって言っちゃいけないけど。どうでもいいような映像というか。

N:まぁそうですね。でも、なかなかどうでもいいような映像って難しいんですよ。何かを撮ると何からの意味になってしまうので。それをどうでもいいように、見せる方法って結構難しくて。

S:だから、ファウンドフッテージのようにも見える。だけどあれは全部西山さんがひとつのショットとして撮ってるわけですよね。で、それが繰り返されている。このことは、映像のアーカイブの問題にも関わってきて、前回の瀧さんのトークの時に彼は、TVをひたすら録画して膨大なアーカイブからその何個かを選択して、それらを組み合わせると言ってましたが、西山さんの場合は膨大な映像のなかから、これをどうやって選んだんだろうと思って。

N:そうですね、僕、割と日常的に当時からヴィデオカメラを持ち歩いてて、皆スマホとかで日常的に撮れるんですけど、当時は小型のハンディカムを持ち歩いて気になるものを撮影してました。でも2002年なので結構前(12年前)で、今見ながらどうしてこんなの作ったんだろうって自分で思ってました。花みたいなところをバーッてこう撮るやつだけはすごく覚えてて、僕の中で純粋性みたいなものをイメージして、その他のものはゴミみたいなもので、そのゴミみたいなものとその純粋性みたいなものが交換するっていう構図を出したかったんだなと思って見てました。なのでなるべく純粋性に対するゴミみたいなものを撮った素材の中から探したような記憶があります。

S:じゃ、(映っている)人々はゴミなんですか?

N:そうです、そうです。あ.、「そうです」じゃないか(笑) 不純なものとして見えたんですね。

*    *     *
《通時的かつ共時的モンタージュ》"Diachronic and Synchronic Montage"(2014)西山 修平

瀧健太郎×平本正宏 対談:
ヴィデオ・コラージュから空間表現へ

201411-taki1.jpg [video reflexive vol.4] ヴィデオ:コラージュ/モンタージュ Video : Collage / Montage vol.1
瀧健太郎 Kentaro TAKI ヴィデオ・コラージュ/パズル


2014年11月7日[金] 19:30- アップリンク・ファクトリー

2人のアーティスト、瀧健太郎と西山修平を「ヴィデオのコラージュとモンタージュ」というテーマで特集上映を二週連続で行う本企画の初回では、サンプリング音楽からコラージュ的なヴィデオを発見した瀧の足跡を、手法とその背景にあるテーマを、作曲家の平本正宏氏との対談で辿りました。

トークセッション 瀧健太郎×平本正宏  進行:西山修平

瀧(以下T):学生時代から音楽が趣味で、流行ってたサンプリング音楽を聴いたり、同時にライヒなどミニマルミュージックなんかを。当時コンピューターでノンリニア編集ができるようになり、97年からバイト先の会社の機材を自宅に借りてヴィデオの編集をコピペでできるようになり、「これとこれを合わせたらどうなるかな」などを嬉々としてずっとやってました。出来た映像を美術の展覧会にいれてもらったというのがきっかけで、普通の映画とかのじゃない方向にいったっていう。

平本(以下H):一個の画面の中が区切られていていろんな映像がそれぞれのタイミングででてきたりするんですけど、全体的にそういう要素があって、その中に存在する映像と音が常に同時並行的にでてきたりする。あれはどうやってやってるんですか?

T:音楽の多声性(ポリフォニー)を映像でやったらどうなるか、映像ならマルチチャンネルでやるしかないだろうと。Aという素材と同時にBも同時に出したら、お互い打ち消し合ったり、意味の作用が変わってくるかなっていう興味もあったんです。エイゼンシュタインのモンタージュ理論とか色々考えますが、時間軸上ではなく空間軸上にあれとこれを同時に出したらどうなるかっていう実験的な要素がありました。音楽的な意味と記号的な意味の両方やってみたらどうかなって。

H:それで結果としてある種の混沌さが生まれるわけじゃないですか。終わり方がこうだと気持ちいいとかはあるんですか?音楽も同様に終わり方に癖が結構でるんですよ。

T:記号の操作で遊んでると飽きてくるんです。すると時間の操作に入って、5分だからそろそろ終らせなきゃというのがあるかも知れません。
20141107videocollage-taki (1).jpg瀧の平面とヴィデオ作品の様子

videosynphonia1.jpg瀧健太郎《ヴィデオ・シンフォニア#1》(2014)


中嶋興×上崎千 対談:ヴィデオ万物流転II

20141010konakajima-1 (5).jpg [video reflexive vol.3] 中嶋興 ヴィデオ万物流転
Ko NAKAJIMA Video Vicissitudes Vol.2

ヴィデオの陰陽五行 5th Elements of Video Art

2014年10月17日(金) 19:00- アップリンク・ファクトリー

第二夜はアートアーカイヴの研究者、上崎千氏をお呼びして、長期間にわたり撮影される中嶋作品のアーカイヴ的な側面と、二つの系統「生/死」と「陰陽五行」のテーマを行き来しながら、万物流転的なヴィデオのアプローチへと話題が発展しました。

トークセッション(抜粋) 中嶋興 × 上崎千  進行:瀧健太郎

上崎(以下U): 慶應義塾大学アートセンターの上崎です。中嶋興さんとお会いしたのは2年前程です。N.Y.近代美術館のバーバラ・ロンドンさんに話を聞く機会があって、日本のメディアアート・ジャンルの作家達のアーカイブに、中嶋興、中谷芙二子、手塚一郎、この3人の名前を挙げられたのがきっかけでした。前回(2004年10月10日上映)の中嶋さんの代表作とも言える《My Life》のように更新される作品と、その時点での結晶や結実としてパッケージ化される作品があり、でもそこで終わりではなくということですね。  中嶋さんは「信号」という言葉を使われてますが、「作品」としての着地よりも、別の問題構成の中で活動をされていると感じたので、その辺からお話伺えれば思います。 

中嶋(以下N): 僕が陰陽五行説から学んだ手法で、これは永遠に古くならないんです。そしてこうした作品は美術館に収まりにくいので、一本のパッケージにしなくてはならない。賞金稼ぎや映画祭で受賞しないと(海外美術館なども)招待してくれない。ある意味、商業主義を利用しないと、ポピュリズムの中でいかに自分の指針を創造していくか、という根本の部分は五行学から学んだことが大きいと思います。 

U:1979年にN.Y.近代美術館で開かれた日本のヴィデオアートを扱う展覧会〈VIDEO FROM TOKYO TO FUKUI AND KYOTOヴィデオ 東京から福井と京都〉で《My Life》を出品されていて、今回上映の同作は〈1976〜2014〉ですが、 この時は〈1974〜78〉と年代記が書かれており、その時その時のヴァージョンが違うんですね。 

N:40年ほど経ってますから。その時は長男や娘が生まれたのを記念して作ってたんです。

U:私は一方で中嶋先生の写真作品をお預かりしておりまして。4万点もの資料を。ある時、松田豊さんの作品のリストの下に中嶋興氏による写真、数百点って書いてあり、問い合わせたら何百点も松澤宥さんに関する写真がでてきて…。 

N: 松澤さんは初期のコンセプチュアルアートの作家で、彼に凄く刺激を受け、若かったので写真を撮ることになって。彼は諏訪湖の近所に住んでいて、「展覧会見て下さい」って言うんで、見に行ったら、キャンバスが全部風景のほうを向いて置いてあって、こっちはキャンパスの裏側しか見えないんですよ。聞いたら「僕は風景に見せる絵画を描いてるんです」って。自然が松田さんの絵を見ていて、人間は想像するしかなく、これがモダニズムを超えるアートかな、と凄く面白い人だなと思ったんですよ。その時に撮った写真が沢山あるわけです。

*    *    *
U:女性が撮影の対象でもあり、段々とその関係がひっくり返ってくる、異色な作品ですが《写真とは何か》がありました。

N:あれは「ヴィデオとは何か」を言いたかったんですが、写真学校での撮影なんでヴィデオへの危機意識や不要論があり、最初にヴィデオの強い印象を学生に与えないといけないと思ってやりました。あの学生の中から〈ビデオアース〉に関わる人が出てきて、一緒に活動やって、その参加の中で学ぶことは多かったですね。若い人には、スマフォやデジカメの動画でのアートの活動を一緒にやる人を募って、運動を起こせばもっと面白い映像も撮れるんじゃないか、とお願いしているんですが、残念ながら社会的に厳しいから、勝手に撮ると怒こられちゃうでしょ。 

U: そうですね。ましてや今日観た《写真とは何か》のあの状況は今ではできないかもしれないですね。

shashintowananika-refine.jpg中嶋興《写真とは何か What is photography?》 (1976)

中嶋(以下N):前回上映した《新幹線研究食》、結構当時は平気で(新幹線内で)撮れたんですよ。まだヴィデオを誰も知らなくて、ヴィデオカメラは操作音がしないから気がつかなかった。「新幹線研究しているK大生です」というとOKだった。今言ったらちょっと大変ですよね、大学にすぐ電話かかってきたりして捕まっちゃう。

上崎(以下U):あのときに身分を詐称してたのは?

N:松島ってやつが来てましたから。

瀧(以下T):あれがパッと言えるカメラマンの人は凄いですよね。アーカイブ的な作品だと思ったのはその次の《Mt. Fuji富士山》ですが。斎藤庫山さんという写真家が。

中嶋興×クリストフ・シャルル:対談
ヴィデオ万物流転I

201410-nakajima-1c.jpg[video reflexive vol.3] 中嶋興 ヴィデオ万物流転 vol.1
Ko NAKAJIMA Video
Vicissitudes   Vol.1 メディアの精製と流転Generation and Vicissitude of Media  

2014年10月10日(金) 19:00-  アップリンク・ファクトリー 

電子映像メディアへの道教的アプローチ(!?)を試みる中嶋興の特集を2週にわたって行いました。1960年代より映画、アニメ、ドキュメンタリーなど様々なジャンルを手掛けてきた中嶋興は、記憶、生と死、万物流転のイメージを、サイケデリックにしかし現代社会への批判に満ちた思想的なヴィデオ的風景を突きつけます。第一夜は80年代より中嶋と出会い、日本のヴィデオアートの研究も行う音楽家・研究者のクリストフ・シャルル氏が、中島作品の上映作から沖縄で撮影された「水平線」を中心に話が展開してゆきます。


トークセッション 中嶋興×クリストフ・シャルル  進行:瀧健太郎


シャルル(以下C):
1987年にパリで中嶋さんとお会いしたと思います。その時に河口洋一郎さんも一緒に来仏してらした。

中嶋(以下N):アメリカ人でヴィデオアートのイベントをよくやっていたドン・フォレスタ主催でパリのアメリカン・センターで上映した時で、河口洋一郎はCG映像で、ちょっと人間臭い僕の作品の2人の作品を両方やったんですよ。当時シャルルは学生で、隅の方に座っていて、終わる頃に僕のところにやってきて話したのを覚えてる。

C:《マイ・ライフ》(1976)の白黒の映像で、非常に印象的でした。マルセイユでヴィデオをやっていた韓国人のヴィデオアーティスト、キム・スンギさんから興さんの名前を以前から聞いていました。

T:そうなんですね。
mylife1976-2014HD.jpg中嶋興《My Life1976-2014》(2014)

201410-nakajima-1a.jpg

マデロン・ホーイカース アーティスト・トーク:
ヴィデオアートの黎明期から現代へ

20140601madelon (1).jpg ヴィデオ・スパークスvol.3では、オランダのヴィデオアーティスト、マデロン・ホーイカースを招き、1970年代のヴィデオアート黎明期から近年の仏教的なアプローチによる新作に至るまでを上映とパフォーマンスを通じて紹介したました。

ホーイカースさんは70年代よりエルザ・スタンスフィールドと協働し、ヴィデオアート作品やインスタレーションを手がけてきたオランダのヴィデオアートの草分け的存在( *1)です。40年以上に及ぶ創作活動からヴィデオ・メディアの特性を知る手がかりを得ることができました。

マデロン・ホーイカース アーティスト・トーク 進行:瀧健太郎、通訳:藤井可奈子 モデレーター:中井澪

瀧(以下T):共同制作を長年されたエルザ・スタンスフィールドとの出会い、ヴィデオを使ったコラボレーションの始まりについてお聞かせ下さい。

ホーイカース(以下H):エルザとは1966年にロンドンのイーリング美術学校で出会いました。彼女は既にアーティストとして活動しはじめていて、私と一緒にフランスの映画作家のアシスタントをするなど偶然が重なり、一緒に作品を作る機会が増えました。ヴィデオを使いはじめた大きな理由は、フィルムですと試写や劇場で見せるしかないですが、ヴィデオはアートの文脈で彫刻のように見ている人と関係性を持てるということが魅力的でした。

T:初期のヴィデオ作品ではTV画面を2つ並べて再撮影するなど、ヴィデオの構造性がよく見えました。《Compass》と《The Force Behind Its Movement》では風という自然の力を可視化させるもの、そして3つ目に《Haiku》のような日本文化がテーマになっているもの、それらテーマの流れを教えて頂けますか?。

M:今回のタイトルを《インスピレーションと変容》とした理由は、私は長年に渡り青森の恐山のイタコの取材をしてまして、撮影が終わってイタコに着想(インスピレーション)を得た映像を日本の方に見せると何か自分の中で変容があるのではないかと思ってつけました。イタコ=盲目の霊媒師に会うため2年間準備をして、2週間の現地取材をするプロジェクトでした。オランダの仏教番組の為の取材でしたが、同時にその映像は自分の作品に使えるような契約をしてます。
compass-real-Madelon.jpg"Compass” Stansfield / Hooykaas (1984)